今後の方針 ― 2006年01月07日 22:11
明日、2006年1月8日からこのブログを再始動します。
今後このブログでは、その時欲しいと思っている物を紹介する「物欲」カテゴリーの記事と、自分の体重と体脂肪率の定時測定を行った結果を記録する「減量」カテゴリーの更新を行います。
ある意味「欲」に関する、極めて個人的な記録になります。
「物欲」記事では、欲しいものを理由と欲しい度合いと共に紹介します。
高いものから安いものまで、必要なものから対して欲しくないものまで。
ここで紹介したものを実際に買うかどうかはわかりません。その時欲しいと思ったことを記録する自分メモです。
「減量」記事は、僕の減量に関する記録になります。
最近ちょっと余計な肉がつき始めたように感じるので、少し体重を減らした方がいいのかなと思いました。とはいえ本気の大減量をするつもりはなく、現体重をキープしつつあわよくば減らそう程度のものです。
しばらくは運動や筋トレの方法を模索するつもりなので、急激な体重の変化はないと思いますが、何か動くことを始めた時には本格的な減量日記あるいは筋トレ日記に変化するかもしれません。
これからもよろしくお付き合い願います。
年頭の挨拶 ― 2006年01月02日 22:33
賀正
ここをどうしようかと思っているうちに、年が変わってしまった。
でも概ね方針は決まったので、近いうちに再始動できると思います。
その時は、どうぞよろしく。
方針転換 ― 2005年12月18日 23:03
少々思うところがあって、このblogの運営方針を変更しようと思う。
それに伴い、気まぐれ更新だったここは開店休業とする。
ここでやっていたようなことは、別の場所で続けたいと思う。思うけど、どこで続けるかは未定。
気持ちと考えにまとまりが出来たら、ここの更新を再開したいと思う。
早ければ数日の内に。遅ければ?ちょっとわからない。
再開後は、今までとはぜんぜん違う中身にするつもりだけど、ちょっとだけあるログは残しておこうと思う。
これも思い出ということで。
わからん ― 2005年12月14日 15:59
ARTIFACT@ハテナ系さんの記事を読んで、“『耳をすませば』を観て自殺”なる素敵フレーズの存在を知る。
“耳をすませば”は、ジブリアニメの中では好きな方から数えて3番目くらいの作品だ(ビミョーなところとか言わないで)。
僕はこのアニメを見て死にたくなったことはない。
記事からリンクされている2chの書き込みはさすがにネタなんだろうけど、ある種のメンタリティを反映している、らしい。
そのメンタリティは『非モテ』。
僕にはその連想がわからない。
なるほど件のカキコは、こんな視点もあったのかと思わずにいられないし、これに至る発想力には脱帽するしかない。
が、ここからどうして『非モテ』の匂いをかぎ出せるのか、それがわからない。
件のカキコに対するはてブを見ると、『非モテ』に言及しているものがいくつかある。
彼らは、少なからず『非モテ』の匂いを感じているのだろう。
ひょっとして『非モテフィルタ』でもあるのだろうか。それを使えば行間から見えてくるのか?
そんなことを考えてしまうくらい、彼らの鋭敏さは僕の理解を超える。
はてなダイアリーの住人を中心に存在する(ように見える)『非モテ』という概念のことをわかっているつもりだった。
僕だってモテる方じゃないからね。
でも、今回の記事を読んで自分の浅はかさを知った。
そもそも『非モテ』ってなんだ?そのレベルにまで引き戻されてしまったような気がする。
惚れた相手が悪かった ― 2005年12月01日 19:02
恋は盲目なんていうけれど、盲目になるのは恋の時ばかりとは限らない。
日々の暮らしの中には、まるで恋のように理由もなく心を捕えられてしまうことがある。
そうなったら最後、周りが何を言おうと聞き入れることはない。世界にあるのは自分と「恋人」だけ。邪魔する奴らはみんな敵。
外側から見ればちゃんちゃらおかしくても、当人たちは真剣そのもの。手出ししようものなら、猛烈な反発がきたりする。
そうなったらその恋が終わるまで、ほうっておいてあげるのも優しさかもしれない。少なくとも、こっちの被害は最小で済む。
でもやっぱりほうってはおけない気分の時もある。
どんな時?
たとえば、自分が惚れた相手にかかわる時。
何の話をしているかって言うと、「水伝」問題がらみのやり取りを見ていて思ったことだ。
「水伝」とは、水に感謝の言葉を伝えると、それに反応してくれる。凍らせればきれいな結晶が成長するし、食品も長持ちする。水は最古の生命なのです、というヤツだ。詳しくは、"水からの伝言""水は答えを知っている""水伝""江本勝"などをキーワードにしてググってもらいたい。
これを信じる人もいれば信じない人もいる。いや、信じる/信じないで区分するのも危険なことなんだけど、それは今書きたいこととはちょっとずれるので置いておく。
とにかく、この「水伝」を小学校の道徳の授業で教えちゃう先生が出たり、明らかに科学的でないものをあたかも科学であるかのように語るなという声があがったりと、ちょっとした、それでいて大きな騒動になっている。
「水伝」を信じる/信じたい人たちと、「水伝」には科学的根拠はないとする人たちの対立が騒動の中心軸で、どちらかが力尽きるまで回りつづけていくのだろう。
今回僕が傍観していたのは、ミクシィの「水伝」コミュニティでのやり取りだ。
普通この手のやり取りは、双方の意見が平行線を辿り、あっという間に理性とか論理性のない罵り合いになってしまう。こうなると議論自体がフェードアウトするか、ネット上ならば掲示板なりサイトなりが閉鎖されることが多い。
そうならず、ややフェードアウト気味の感はあるものの比較的冷静なやり取りが続いているのは、議論の場がミクシィであるからかもしれない。
現在のこの議論自体は、理路整然たる反「水伝」派が優勢だ。だからそろそろ「水伝」派の爆発が起きる頃ではないかという気がする。
そうなったらいつもと同じ幕引きだが、ひょっとしたらミクシィという場の特殊性が今までとは違う決着を生むかもしれないという期待はしている。
最初の段落で僕が言いたいのは、「水伝」にひっかかった人たちが恋に盲いているということじゃない。
むしろその逆で、恋人を守ろうとしているのは、実は科学の旗を振る人たちの方ではないかということだ。
僕らは、似非科学に対してこの手の議論を吹っかける科学の人たちの動機をどう捉えているだろう。大抵は義憤に駆られてと思っているのじゃないか。
「彼らは似非科学に食い物にされている。助けなければ。そして更なる被害を食い止めねば」
おそらくそれで概ねイエスだ。でも心の片隅にはちょっと違う気持ちがある。
それは科学への愛から生まれる怒り。
彼らは似非科学に自分たちが愛した科学が汚されているのが我慢ならない。
彼らは恋人の汚名を濯ぎ尊厳を回復するのに必死だ。だから無関係な人たちに語りかける。「違う、そうじゃないんです」
この気持ちは、似非科学を信じる人たちがそれを否定された時感じるなんともいえない不愉快さと、根は同じものだ。違いは、それを感性や気持ちということばで武装しているか、合理性や論理性ということばで武装しているかという点だけだ。
実のところ、似非科学vs科学の議論も感情に根ざしたものなのだ。故に完全決着、もちろん科学の勝利であるべきと思うが、を見ることはない。もっとも、決着がつかないことはすでに経験的に明らかなことだけど。
でも、経験的に決着がつかないことはわかっていても、なぜ幾度となくこうした議論が繰り返されるのかは、示せたと思う。
似非科学を信じる皆さん。あなた方の敵は似非科学を他人事だと思っていません。むしろ自分自身の問題であると考えています。だから「関係ないだろ、ほうっておいてくれ」は通じません。彼らから逃れるには、科学的にダウトフルな部分を切り捨て思想的な部分の純度を上げるしかありません。
科学を愛する皆さん。あなた方も議論に臨む時の気持ちはビリーバーと本質的には変わりありません。同じ原理で行動していては、いつまでたっても平行線です。まったく別の戦略をとった方が道が開けるような気がします。その具体的な戦略には思い至らなかったので、この辺で筆を置きたいと思う。
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